第1回全国環境医シンポジウムIN入間

「奥山再生/飯能市西川林業地・ユガテの里を例として」

西川林業地・ユガテの里

(特)西川木楽会  代表 吉野 勲

西川地域の昔と今

ハ 子供の頃の私は、夏になると川遊びが日課でした。玉石を両手に抱え9尺程の川底に上向きに横たわり、差し込む日光の中を鮎や雑魚の泳ぐ光景や、足のすね毛を魚がついばむ感覚を今でも鮮明に覚えています。冬は今よりも寒く、対岸まで張り詰めた氷に石で開けた穴の下をとうとうと水が流れていました。私の子どもの頃は四季を通し、山も、畑も、家の辺り全てが格好の遊び場でした。今思うと、豊かな自然が身近にあったわけです。

ハ こうした自然豊かな、埼玉県の西南部、入間川・高麗川・越辺川の流域の西川林業地は約2万haの9割が私有林で、ほとんどが小規模の兼業林家です。古くから関東の吉野林業といわれ、人手を掛け丁寧な育林作業で、無節の優良材を生産してきました。江戸時代、木材を筏で流送していたので、「江戸から見て、西の方の川から来る材」という意味から、「西川材」と呼ばれるようになりました。西川という地名は地図上にはありません。西川材は江戸の町づくりに貢献してきたといえます。

ハ 昭和初期、飯能駅の周辺には14、5軒の材木商が軒を連ね、まさに織物と西川材の町として古くから栄えていました。市内の製材所は林業が最盛期の昭和40年頃40軒程ありましたが、現在は6軒となり淋しい限りです。戦後の拡大造林は杉・桧の山に富をもたらすはずでした。しかし、木材の自由化や住宅の洋風化や工業化などにより、外国産材が現在の木材需要の8割を超え、国産材は2割を割ってしまいました。それに柱や梁の見えない大壁づくりも林業に打撃となりました。山仕事は奪われ、人々は町に仕事を求め、山は荒廃しました。

ハ 現在、40年生の立木が大根1本とおなじ値段と話題になったりします。木を伐れば伐るほど山主の負担が増すようでは、山から木を出せないのも道理です。住宅の柱・梁となる杉や桧を育て、木を伐って売る林業は成り立ちません。日本の森林は、1年間の樹木の成長量で年間の住宅建設をつくれる以上の蓄積量を持っています。しかし、人工林は下刈りや間伐などの人手が入らなくなると、土砂の流失や生態系の破壊へとつながります。

ハ 戦後の都会化と高度経済成長は、山の荒廃と自然環境の破壊をもたらし、私たちの生活環境を激変させてしまいました。
 
 
西川木楽会の歩み

ハ 山の荒廃を背景に林業の活性化に役立てようと、旧林野庁が全国各地の林業地に青年林業会議所の立ち上げを呼びかけました。西川地域でも、平成3年度に林業及び木材関連業の若い担い手を中心に、地域活性化を図ることを目的に、川上側(林業経営者)、川中側(製材業者)、川下側(建築設計者)、森林組合、関係市町村の21名で「西川地域林業青年会議」が結成されました。「西川地域林業青年会議」は平成6年3月までに8回の会議がもたれ、地域の現状、問題点、活性化へ向けての提言をしました。7回目の会議の時「西川木楽会」と改名しました。

ハ 西川木楽会は平成6年9月3日に飯能市の旧南川小学校において設立総会を開催しました。会の目的は森林・木材の関心のある者のネットワーク、会員間の情報交換、西川地域の森林・林業・林産業に関する調査・研究等を行うことにより、森林の活用、木材の利用の将来を考え西川地域づくりをすることです。

ハ スタート時、166名の会員の職業は林産業者、建築業者、サラリーマン、教職員、主婦など多彩で、住居地も県内外各地からでした。飯能林業事務所に事務局が置かれました。主な事業は下刈り、枝打ち作業等の林業体験、住宅の見学、泊り込みの講演会や意見交換、木工教室、広報誌の発行など多様な事業を実施してきました。平成8年12月に東吾野のユガテの伐採見学会及び丸太の販売のイベントをきっかけに、翌年の春、見学地の土地所有者と30年間の「森林使用協定」を結び、1haの土地の0.3 haにヒノキを植樹しました。

 こうした永年の活動が評価され、平成14年名栗村で開催された県の植樹祭で知事表彰を受けました。その年の総会で、会の自立と新たな取り組みを目指してNPO法人へ向けて準備がスタートしました。1年間の討議を重ね、平成15年の総会でNPO法人申請が承認され、11月21日に埼玉県知事から認可されました。現在の会員数98名で、事務局を吾野のCOMハウスに移転しました。この法人の目的は、一般市民、任意及び公共団体とネットワークし、森林の保全・育成・活用を通して西川地域づくりと豊かな森林環境を次世代へ継承することに寄与することです。


ユガテの森づくり

 ユガテの森は西川木楽会の林業体験のフィールドとして活動拠点となっています。毎月第4土曜日を定例の作業日と定め、適宜に補植、下刈り、雪起こし、枝打ち、作業道作りなど保育作業を実施し“ユガテの森づくり”をしています。
使用協定を結んだ平成9年の春、900本のヒノキを植樹しました。その後に植栽樹種の検討を重ねながら、平成10年に、ヤマザクラ150本、コナラ400本、ヤマグリ100本を植樹。平成11年に、ケヤキ600本、コナラ100本。ヤマグリ100本。平成12年にサワラ100本、ケヤキ270本、トチノキ30本、イチョウ5本。平成13年にヒノキ100本、サワラ100本を補樹。平成14年にヤマグリ20本を補植しましたこの年で、1haのユガテの森は植林し終えました。その後、下刈りを繰り返し,枝打ちをし、間伐、道作りをしながら現在に至っています

 1月の山開き、4月のユガテの春を楽しむ、年末のユガテの忘年会が恒例となっています。これからのユガテの森づくりでは体験学習や環境学習や山のコンサートなど多彩な活動も検討していきたいと考えているところです。



西川の地域づくり

 朝日新聞の社説「地球人の世紀へ」で、文明転換のために5つの提言が載っていました。その第一番目に、エネルギーを消費する金属・化学物質依存から、二酸化炭素を蓄えた植物を持続的に利用するために、「100年持つ木造住宅を建てよう」とありました。持続可能な社会を実現するためには、いまのようなスクラップアンドビルドでなく樹の寿命にあった住宅づくりを見直すことが大切ということです。また、これからの林業には環境と地域づくりの視点が必要です。そこで、「林から木を伐る」ことから「林に木を植える」ことで成立する森づくりの林業を提案したいと思います。

 西川材の活用や山間地に自然と共生した文化的住空間と雇用の場を実現するための森づくりには、@木の文化の再生、A地域で生きる場づくり、B森林(自然)と都市(人間) の共生への模索の3つのことを提案したいと思います。私はある場所やものの心地よさや悪さを見極めたり、創ったりするときにメウッディーめがねと称して、そこに@自然があるか、A歴史や風土があるか、B安全性があるか、Cコミュニティーがあるか、D美しさがあるかを自問しています。例えば、西川地域らしさを考えたとき、このらしさをこのメガネを通してより高められる方法を見つけることが出来ます。これからの西川らしい地域は各自違うかもしれませんが、私はこんな地域を描いてみました。

 扇状地に位置するこの地域は森林(自然)と都市(人間)の共生しやすい土地柄です。山は計画的に針葉樹と広葉樹が植林され、四季の変化に富む山に囲まれる市街地。ここに住む人々は、森林の多様な素材や環境を活かした農林業、木工、染色、陶芸、絵画、文筆、民宿、飲食店、福祉などの多彩な仕事で自活。地元の棟梁が西川材でつくる“木の家”。森の恵みや有機農産物を産直市場で売って現金収入を得ている人々。山は自然の中で生活したい方の場。市街地は樹木が点在し、建物はその高さを超えないように規制、鳥のさえずりや町の匂いを取り戻すのに、電気自動車の普及や路地や井戸端などの復活。路地裏には西川材でつくられた玩具や環境や健康にやさしい様々な品物が展示・即売する店で賑わい。そんな“西川らしい” 地域を創りたいと思います。

 その一つの試みとして“山の学校”を、今年から毎月第2日曜日午後3時から開校しました。地域に生活している方が先生となり、誰でもが生徒として参加できます。地域の多種多様な人達から人間と自然が共生できる知恵や技術を学び、新しい産業をつくることで都市から山村に人を呼戻し、心豊かに暮らせる場づくりの実践をめざしています。

 「先祖からの贈り物であり、次世代への預かり物」といわれる森を次世代の子供たちに手渡すには多様なアプローチがあるはずです。気楽に、木楽会にご参加ください。

戻る